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葆光とはなんぞや?

とかく世間では白黒をつけることにことにより、あちこちで対立を生み出していますが、「葆光の世界」ではなんとなく「あいまい」にすることにより、いろいろ次元を変えて考察してみます。白と黒を混ぜてみる、白と黒を離れてみてみる、白と黒をいくらか重ねてみる、白と黒を離れて見て捻じってみる等いろいろ試しているうちに白と黒を分けることが訳が分からなくなります。更にその上、黒を白と思い、白を黒と思うと名は単なるしるしだから更に複雑怪奇なものになってしまう。すると白でも黒でも、もうどうでもよくなってしまう。どうでもよくなってしまうことが重要で、すなわち「分別智」を休んで休みつくすことが「真我の光」である「葆光」に唯一近づけるのかも?
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葆光の温かさ

愛は憎しみに変わる場合があるが、慈悲は愛情深き母親がわが子を思う心根に近いように聞き及んでいます。葆光の温かさは愛も憎しみも慈悲もすべてを包み込むような、言葉で表現できない温かい光ではと個人的に想像しています。(ロウソクの明かりの中で、生きとし生きるもののすべての幸福を祈念している心根)世の中を住みよくするなら、先ず「葆光の温かさ」を育成することが何より重要ではと考えています。葆光塾はそういう人々が育てばと思います。

葆光とは?

マイナスを肯定しプラスを肯定する。両方を肯定し、両者を混在することにより、新たな高次元なものが出現する。黒色と赤色を遠くから眺めると新たな色が発色する。賛成意見と反対意見を広い感性で眺めるとどっちもどっち思い、どうでもよくなり新たな世界が見える。明るい光と暗闇を混ぜると薄暗いあたたかい光が感じられる。

魅力的なボーとした世界

あくせずしないボーとすることができるなら、生きているそのことが楽しい。母親の胎内にいたときの明確な記憶はないが、もしあれば分別智がないから自分自身の感覚がメインだから幸福感は、想像できないほど凄いものかも思う時があります。その感覚に近ずく為には、ひたすたボーとすることかも、っとフッと思います。宮沢賢治の有名な詩の中で「いつも静かに笑っている」の心境も宇宙の何らかのリズムと繋がっているのかも?なんかボーとすることを追求すると凄い世界に近づけるのかも?

「葆光の世界」

人間の本来の姿は、人智を超えた魅力的な存在になる可能性を誰もが潜在的に秘めているなら、現実世界も、人智を超えた理想世界もありうるのかなとフッと思います。「葆光の世界」は魅力的な人間が創造しうる高次元の世界です。例えて語るなら、「対立がない」、ということは戦争がない。区別がないから「差別がない」、光明を求めないから影がない。多くの人の犠牲の上に一部の人の繁栄は存在しないから犯罪の起こる因子も少ない。すべても人は競争しないから茫洋としノンビリ人生を楽しめる。
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